分科会:現代社会と伝統〜調和と共生の模索〜

jasc602007-12-24


はじめまして。第60回日米学生会議の実行委員を務めさせて頂いております、慶応義塾大学法学部政治学科三年の、廣田隆介と申します。

担当役職は、報告書の作成、企業財務(渉外)、モンタナサイトコーディネーターですが、実行委員は全員サッカーのボランチのようなもので、仕事が無い時はありません(笑)最近は自分の仕事を忘れて、皆様に日米学生会議について知って頂くための、広報活動に注力してきました。

同時に就職活動も佳境を迎えてきまして、中々忙しい年の瀬を迎えているところです(汗

世間はクリスマスで賑わっているようですが、日米学生会議実行委員にクリスマスなぞ関係ありません!!(笑)
聖なる夜も、しっかりとやるべき事をこなし、来年度の本会議の実現に向けて邁進する所存です。(予定が入っていないだけです、ハイ。。。)

そこで本日は、皆様へのクリスマスプレゼントと題しまして、僭越ながら私の自己紹介、日米学生会議との出会い、第59回の思い出、担当サイト、そして担当分科会についてお届けしたいと思っております。長文になってしまい申し訳ないですが、どうぞお付き合いください。

自己紹介

1986年神奈川県厚木市生まれです。1歳の頃には横浜に移り住んで来て、現在もそのままハマっ子としてのアイデンティティーを強く持っております。

小学校は農園があるようなほのぼのとした学校に通い、サッカーや習字、水泳、体操、ピアノなど、様々な習い事をしていた記憶があります。

中学校は、東京の目黒近くにある中高一貫男子校である攻玉社中学校でした。

最初はムっさい男子校が本当に嫌いでした(笑)が、段々と居心地が良くなり、現在でも中高の友達とはかなり深く付き合いが続いています。ここでの転機は、中学校三年の夏に訪れました。当時バスケットボール部に所属し、週5日で練習に打ち込んでいたのですが、最後の大会で負けた後はある種の無気力状態に陥ってしまいました。更に高校受験が無いお陰で、学年全体がダレた雰囲気になっており、そこに漠然と危機感を感じてもいました。そこで、当時からの親友と一世一代の博打を打ち、アメリカ合衆国への一年間の留学を決意したのでした。

実際に高校一年の夏から、ミズーリ州カンザスシティーに留学をしましたが、初めての海外だったこともあり、食事や生活スタイルにも馴染めず、英語に関しては出発前の勉強が全く役に立っていないことに愕然としました。しかし、学校の友人やホストファミリーの助けを借りながらも、なんとか一年間生き抜くことができました。この多感な時期に、アメリカで一年間の生活を経験できたことは、その後の人生に大きく活きています。

(現実的な変化を申し上げると、内気な性格が一変したことと、女性恐怖症が解消されたことは本当に大きな変化でした、笑)

帰国後はダブることなく攻玉社高校の2年生に復帰し、生徒会に顔を出したりしながら、3年生の一年間は受験勉強一色という感じでした。結果として慶應義塾大学法学部政治学科にご縁があり、現在に到ります。

日米学生会議との出会い

大学入学後はテニサーや広告学研究会などに関わり、それなりに楽しい大学生活をエンジョイしておりましたが、どこかで同年代の仲間と真面目に何かに取り組んだり、折角身に付けた英語を使って何かをしたいという漠然とした思いを抱いていました。そんな時にネットサーフィンをしていたら、「第58回日米学生会議」のHPを見つけ、「これだ!!」と直感的に思い、応募しました。しかし結果は書類落ち↓↓後に友人が受かっていたことを知り、悔しい思いをしたことを覚えています。

それから一年後、満を持して第59回日米学生会議に応募し、参加者の一員となることができました。
面接前夜は友人宅で遅くまで飲んでいたり、直前に証明写真を取るなどのハプニングはありましたが、念願が叶った瞬間でした。

59回の思い出

前年度落ちの経験から、初めからかなりのJASC信者であったと思います。
春合宿の最終日のリフレクションでは、思い余って涙ぐんでしった程でした(苦笑)
でも、それ程素晴らしい仲間に出会えたということで、ご理解下さい。

分科会は「アイデンティティーの社会学」という分科会で、事前活動ではイスラム学生との議論や、アイヌ文化センターの訪問を行いました。日本で普通に生活していると、絶対に聞こえてこないマイノリティーの方々の本当の声を聞けた体験は、自分にとって衝撃的でした。同時に、日本において「アイデンティティー」の問題を語ることが如何に困難であるかをも思い知らされました。

夏の本会議では、他の9人の仲間と共に、充実したディスカッションを行うことができました。以下、本会議中の分科会の様子です。


アイデンティティーの社会学分科会〜本会議中の空気〜】
国家間関係、マイノリティ問題、ジェンダー、社会階層、対人関係、そして一個人と、とても広いトピックを扱う分科会であったことにより、様々な関心領域、及び問題意識を持った学生が集まったということが、本分科会の最大の特徴であった。ゆえに本会議開始直後は、ファイナルプロジェクトへ向けての方向性の違いが顕著に現れ、衝突を繰り返した。不慣れな環境と24時間共同生活から来るストレス、さらには「自分の思いが上手く伝えられない」、「他人の話を素直に受け入れられない」、などの葛藤から、10日目前後までは、気分が落ち込んだままのメンバーや、感情を抑え切れない余りに突然議論の場を立ち去ってしまうメンバーも見られた。皮肉なことに、私達が問題意識を持っていた「IDの衝突」を、いつの間にか私達自身で体現していたのであった。しかし、転機は突然訪れた。ファイナルプロジェクトの準備と自由討論の時間を明確に分けたことにより、メンバーは常に具体的な成果を出さなければならないというプレッシャーから解放され、その率直な胸の内をポツリ、ポツリと語り始めた。自身の被差別、差別体験から、個人の信仰のようなナイーブな議題、さらには靖国神社、広島、アメリカの格差社会などについて、白熱した議論が展開された。その過程においては、自らのIDの根幹を再確認せざるをえない場面も多く、さらに再構築を迫られるような新たな発見も多くあった。そして本会議が終わる頃には、全てを曝け出し、晴れ晴れとした皆の表情が、分科会における議論の充実度を物語っていた。一方でファイナルプロジェクトは、充実した議論とは裏腹に、不完全燃焼となってしまった感は否めない。しかしこの分科会で得た経験、すなわち「国籍や言語の壁を乗り越えて、互いを友人として理解し合った」という成功体験は、必ずや私達の未来を通じて、新たなる「IDの衝突」を回避するための礎となるだろう。


分科会外においても、他の70人の仲間と、本当にアツい夏を過ごせたと思っています。
東京では居酒屋、クラブ、観光、文化体験、秋田では食い倒れホームステイ、パーティー、広島では夜の散歩、クラブ、京都では観光、文化体験、ファイナルフォーラム後のオールなどなど、アカデミックな部分以外も、この日米学生会議の大きな魅力です。


60回の実行委員立候補した理由は、こんなアツい会議にもう一回参加できるという単純な動機、59回分のJASCerの気持ちを次世代に受け継いで行きたいという動機、そして今まで自分に欠けていた「長期的に同じチームで何かに真剣に打ち込む」という経験を、「この仲間となら絶対にできる!!」と確信したからでした。

担当サイト

モンタナです!!

「モンタナ行って何するの?」と苦笑いを浮かべながらご質問なさる方が多いのですが、実はこのモンタナ、かなりのポテンシャルを秘めているんですよ!!普通にアメリカ旅行に行く際には、あまり立ち寄らない土地にもスポットライトを当てるのが日米学生会議です。この60回会議の機会に是非、モンタナの魅力を皆様に感じて頂けるように頑張ります!!

コーディネーター:廣田隆介、渡辺恭子、Tanaka Hidemi、Nakanishi Aya

担当分科会

現代社会と伝統〜調和と共生の模索〜

Exploring the Relationship between Tradition and Modernity

現代社会は歴史から様々なことを学び、発展してきたが、時としてそのルーツである伝統との間に摩擦を引き起こしてきた。両者の緊張関係は、近年の例に鑑みれば、1960年代後半の反体制運動や、今日の宗教原理主義民族主義勃興の遠因ともなっているだろう。しかし一方で、古今東西、新しき物と古き物が衝突し合い、異文化が相克する過程において、固有の文化、技能、価値観は融合と発展を繰り返してきた。そしてグローバル化と過去への考察が進むこの現代において、地球規模の空間軸、歴史という時間軸の双方において、融合と発展の選択肢は無限に広がっている。本分科会では参加者の幅広い関心を受け入れながら、現代社会と伝統の調和と共生の術を模索し、より良い未来を構築するために議論を進めていきたい。

コーディネーター:廣田隆介 Jennifer Eusebio

以上になります!!分科会の詳細や、現在実行委員として取り組んでいる仕事などは、今後も継続的にアップして行きたいと思います☆
乞うご期待下さい!!